作:早川ふう / 所要時間 60分 / 比率 1:1 20190325 利用規約はこちら
ラピス・ムーン
【登場人物】
男
バーの常連。29歳。会社員。軽い男だが誠実ではある。
現在は彼女はいないが、過去の恋愛で痛い思いをしたらしく、今特に恋愛をしたいわけではなかった。
女
バーに初めて来た。28歳。会社員。
既婚者。結婚生活に悩みを抱えている。生真面目な性格。
男 「こんばんは」
女 「どーも」
男 「初めまして、だよね」
女 「そうね」
男 「ひとり?」
女 「ええ」
男 「一人で飲みたい気分なら退散するけど、
もし違うなら、一緒に飲まない?」
女 「……慣れてるのね、いつもそうやって女の子を口説くの?」
男 「ははっ、口説いてるわけじゃないよ。
ただ、ここは馴染みの店だし、一人で飲むのは性に合わないから、
いつも誰かしらに声はかけるんだよね。
だからここの客は大体友達」
女 「へぇ、そうなの」
男 「まあ、もしお許しがいただけるなら、口説かせていただきますけど」
女 「お断り」
男 「じゃあ、普通に一緒に飲むだけなら?」
女 「それなら、いいけど」
男 「よかった。隣いい?」
女 「どうぞ」
男 「ありがと。すみません、何か軽いものを。
……ここには何度か来たことあるの?」
女 「今日が初めて」
男 「へぇ。それで出会えたならラッキーだったんだな」
女 「軽いのね」
男 「なんでも口説きと受け取らないでくれよ。
で、今日は飲みたい気分だった?」
女 「うん、まぁ、そんなとこ」
男 「あー、ってことは違うのか。じゃあ何かな? 待ち合わせ?」
女 「そここだわるところ?」
男 「んー、まぁ知りたいからね」
女 「知りたい?
こんな行きずりの女の何が知りたいの?」
男 「行きずりって、オモシロイ言葉使うなあ!」
女 「え、……言わない?」
男 「あー、言うんじゃない?
そういう意味なのは知ってる。
でも日常生活で使ったことはないよ」
女 「そっか。……日常はドラマじゃないもんね」
男 「ドラマ、好きなんだ?」
女 「うん、よく観る」
男 「連ドラとかチェックしたり?」
女 「まぁね。でもちゃんと観るやつは少ないかな。一応録画してるけど」
男 「ある程度選ぶのは仕方ないと思うよ。
地上波だけじゃなくて、BSやネットまで、すげー作品数あるし」
女 「そうなのよね、ほんと困る」
男 「もしかして、昔からテレビ好き?」
女 「うん、テレビっ子だった」
男 「じゃあアニメとかも?」
女 「昔はよく見てたわよ」
男 「そうなんだ」
女 「あなたが子供の頃は?」
男 「俺は……特撮ばっかりだったかな」
女 「さすが男の子」
男 「そりゃそうさ」
女 「……楽しかったよね、昔のテレビって」
男 「……今のは、楽しくない?」
女 「んー……そういうわけじゃないけど、昔ほど来週どうなるのかなーとか
そういうわくわく感みたいなものはないかも。
情報もすぐネットでわかっちゃうし」
男 「あー、それはあるね」
女 「昔はね、家に帰ったらすぐテレビをつけて、
時代劇の再放送か、二時間サスペンスの再放送を観ながら宿題やって、
アニメを観ながら夕飯食べて、お風呂のあとはドラマを観てから寝てたのに」
男 「はは、すげー、テレビ三昧」
女 「……今は、全然。
ちょっと、観るだけになっちゃった」
男 「まぁ大人になればそんなもんじゃない?」
女 「大人、か……」
男 「……ここで年齢を訊くのは、さすがにまずいかな?」
女 「じゃあ、うざいコト言ってあげる。
いくつに見える?」
男 「ハハハ、うざくないよ、そういうの好き。
んー……にじゅう……ご!」
女 「プラス3しといて」
男 「へえ、そっか。外見だけなら大学生に見えるよ」
女 「そんなお世辞いらない」
男 「いやいや、肌も綺麗だし、若く見えるって。
でも学生っぽい話し方じゃないから、25って言った」
女 「あっそ」
男 「信じてないな?」
女 「別にどうでもいい。……あなたは?」
男 「君プラス1歳」
女 「え……年下かと思った」
男 「えー俺若く見える!?」
女 「話し方がチャラいんだもの」
男 「そうかなあ!?」
女 「ふふ。あ、すみません、同じものを」
男 「……今日はどうしてここに来てるの?
あとから旦那さんが来るとか?」
女 「えっ!?」
男 「……あ、ごめん、まだ結婚してなかった?
それ、結婚指輪に見えたから」
女 「あ……指輪、……そっか……」
男 「なに、指輪してるの忘れてたの?」
女 「というか……旦那の知り合いなのかなとか、
結婚式来てくれてたっけとか、考えて」
男 「ああね。
……なんか、ワケありっぽいね。もしや喧嘩中?」
女 「……」
男 「探る趣味はないから、別に深く訊かないよ。
話したけりゃ聞くけどさ」
女 「ここ、前に友達がいいお店みつけたってSNSに載せてて、
それで来てみたかったんだ。
お酒は弱いんだけど、こういう雰囲気がすごく好きなの」
男 「あーわかる。俺もバーって落ち着くから好き」
女 「普段は、来れないし。こういう時じゃないとね」
男 「こういう時って?」
女 「ありがちだけど。同窓会。その帰りに寄ってみた」
男 「遅くなると心配するんじゃない?
初恋の男と再会でもしたんじゃないか、とかさ」
女 「……そう心配してくれないかなと思って、遅くなるって連絡はしてある」
男 「旦那さん、仕事人間?」
女 「うん。仕事ばっかりで、私の話は何も聞いてくれない」
男 「そりゃ寂しいね」
女 「……そんなことないよ、時間がある時は優しいし、……とか、
言えたらよかったな」
男 「……全然構ってもらえない?」
女 「会話はあるの。
……主に私への文句だけど」
男 「文句?」
女 「……これ以上は愚痴になっちゃうから。
せっかくのお酒が不味くなる」
男 「……バーでの秘密は守られる、とも言うよ」
女 「でも涙を見せるのはご法度、でしょ」
男 「あ、もしかして半年前までやってたドラマ観てた?」
女 「うん。そっちもでしょ」
男 「俺は漫画だけど」
女 「あ、そっか、あれ原作は漫画だっけ」
男 「そうそう。
……とにかくさ、行きずりの男なんだから。
あとくされないでしょ、話しちゃいなよ」
女 「愚痴を?」
男 「弱音でもいいよ。
旦那の愚痴なんて、言える人もなかなかいないだろうし」
女 「まあね……。
……私結構、周囲から羨ましがられる結婚でね。
私も調子に乗って幸せアピールたくさんしてたから。
今更、誰にも愚痴れなくて、結構辛くて」
男 「じゃあ尚更、俺ぴったりじゃん」
女 「そうね」
男 「なんなら遊び相手になってもいいよ?
あ、もちろん、そういう意味で、ね」
女 「っ……、その気があるなら他をあたって」
男 「真面目なんだ」
女 「そういうわけじゃない」
男 「ふーん。勿論無理強いしません、冗談です。
さ、愚痴をどうぞ」
女 「……ほんと軽い人なのね」
男 「そういう男なんだから、色々言いやすいでしょ」
女 「……でもいざ話そうと思うと、どう話していいかわからない」
男 「あー、まとまらないと話せないってあるよね。
別に綺麗に話そうとしなくていいよ。
愚痴なんだから」
女 「うん……でもなあ……あなた独身?」
男 「……結婚してるように見える?」
女 「まったく」
男 「ははっ、その通り独身ですけどね」
女 「結婚生活の悩みって、……感情移入しづらいんじゃない?」
男 「だからそんな真面目に考えることないって」
女 「……あなたの家では……親族で集まったりとか、そういうのってある?」
男 「あー……正月とかお盆とか?」
女 「それ以外。たとえば、誕生日とか。おばあちゃんの誕生日を祝いにいくとか」
男 「ああ、あるよ普通に」
女 「お祝い事だけど、お招きを受けているわけだし、何か持っていくわよね」
男 「お袋は色々作ってたかな」
女 「私も作ったの。
ご高齢だし、塩分控えめで煮物と、
豆腐とレンコンを入れた肉団子を持ってった」
男 「いいじゃん。メインは向こうで用意するとしても、
普通に小鉢とかで並んでても見栄えしそうだし」
女 「出汁もちゃんととったし、前日から準備して、頑張って作ったんだけど、
旦那からはすごく怒られた」
男 「えっ? なんで?」
女 「こんな味しない、くそまずいもん作るなんて、俺が恥かくんだからやめろって。
もちろん、ここまで言葉きつくないけど。……ショックだった」
男 「料理そんなに得意じゃないの?」
女 「得意なつもりだったんだけどな。
旦那の口にはあわないみたい。薄味すぎるって言われる」
男 「旦那さんが味濃い方が好きってことか」
女 「仕事柄、旦那のお昼は外食になっちゃうの。
だから、結婚したし、家ではきちんとしたもの食べさせてあげたいって
頑張って作ってるんだけど、軒並み不評なのよね」
男 「うーん……味覚の問題じゃないのかなあ。
旦那さん煙草や酒は嗜む人?」
女 「うんどっちも」
男 「結婚前の生活は、外食ばっか?」
女 「そうね、仕事柄しょうがないのもあるんだけど」
男 「だったら味覚の問題な気がするけどなあ。
亜鉛摂らせれば?」
女 「……ふふっ、けっこう真面目に聞いてアドバイスもくれるんだね」
男 「いや、別にこれくらいは」
女 「……軽いと思ったけど、そんなに軽くもないんだね」
男 「えっ、そう見える?
いやー照れるなあ、ホテル行く?」
女 「前言撤回」
男 「あー嘘嘘冗談!」
女 「ふふふ」
男 「へへへ」
女 「……ホテルかあ。
……しばらく行ってないなー」
男 「旦那さんとは恋愛結婚?
結婚前はよく使ってたクチ?」
女 「まあね。高いホテルに泊まるよりも特別な感じがして、好きだったの」
男 「はは、まぁその為の場所だしね」
女 「そうね。……でも、旦那と一緒だったから、楽しかったんだと思う」
男 「元カレとは楽しくなかった、って聞こえるけど」
女 「それはノーコメントで」
男 「了解。
……旦那さんのこと、ほんとに好きなんだね」
女 「……好きよ、勿論。だから結婚したの」
男 「うん」
女 「……だから、旦那に認めてもらえないのが、つらい」
男 「……料理だけが問題じゃなさそうだね」
女 「色々、あるの、いろいろ」
男 「……たとえば?」
女 「……約束、破られるのツライ」
男 「どんな約束?」
女 「今日、早く帰れるから、一緒にどっか行こうかとか
そういうのって、結婚したから、特別なものになるじゃない。
彼氏彼女だったら普通だけど、結婚したら、なかなかナイことだもん。
でも……急な仕事でその予定が駄目になっちゃうの」
男 「楽しみにしてたのにね」
女 「謝ってももらえない」
男 「マジで?」
女 「うん。……そういうの我慢しない私は悪い奥さんだって説教される」
男 「……えー……それ言えちゃうのか旦那さん……」
女 「私、最初専業主婦になったの。旦那の希望で」
男 「へえ。それで生活できるんなら、いいと思うけど……
その旦那さんの面倒をみるのしんどくない?」
女 「給料的には、問題なかったんだけど……
料理や掃除や……結構こだわり強くて、どんどん自信なくなっちゃって」
男 「だろうね」
女 「だから私、また働きに出たの」
男 「ああ、その方がいいと思うよ」
女 「でも、そしたら、家事とか全然手伝ってくれなくなっちゃって」
男 「え、普通逆じゃないの?」
女 「専業主婦だった頃の方が手伝ってもらってたんだけど……」
男 「……まさかとは思うけど、
働かせてやってるんだから、家事もちゃんとやれよって?」
女 「……しょうがないの。子供もいないしさ」
男 「ん!? 待て待て待て、それとこれとは別の問題じゃあ?」
女 「私と、結婚してくれてるんだから、頑張らなきゃ。
でも、色々つらい」
男 「言っていいのかわからないけどさあ」
女 「なに?」
男 「……正直な感想。モラハラ夫と、被害者妻、かな。
そういうの、マジでよくないと思う。
別れた方がいいんじゃないの?」
女 「それは嫌」
男 「そんなんでも、旦那さんを愛してるの?」
女 「……そうよ」
男 「行きずりの男に愚痴るくらいつらいのに?」
女 「……そうよ」
男 「……そっか。
……まぁ、そんだけ惚れるくらい、いい男なんだろうね」
女 「……優しい人なの。
仕事もできるし、かっこいいとも思う。
でも、一番は、優しいの」
男 「この話聞いた後で、どこが優しいのか納得できる回答がほしいかな」
女 「……困ってる人を見ると放っておけない人でね。
自分が濡れても、他人に傘を貸しちゃうような人って言えば伝わる?」
男 「……ってことは、助けてもらって惚れたパターン?」
女 「……まだ最初の職場で働いてた頃ね、仕事でミスしちゃって、
助けてくれたのが、当時取引先だった彼なの。
そっと助け舟出してくれて、励ましてくれて……
連絡先を交換して、デートを重ねて、結婚した……」
男 「ふーん……」
女 「後輩はもちろん、上司や同僚からも信頼が厚いのは見ていてわかるの。
とても素敵な人だと思う。
だから、そんな人を悲しませる、私が……、悪いの……」
男 「……最後だけは、俺も譲らないよ、君は、悪くない」
女 「どうしてそう言えるの?」
男 「自分で言ったんじゃないか。
時間がある時は優しいよ、って言えたらよかったって」
女 「……ああ……」
男 「確かに君の旦那は、職場では頼りになって優しくて、いい男なんだろう。
でも、家庭では、優しくない男だ」
女 「……」
男 「旦那にこだわるのは、尊敬する上司に認めてもらいたい、みたいな
そういう、仕事の延長の感情なんじゃないの?」
女 「失礼ね、そんなこと」
男 「絶対ないって言いきれる?」
女 「……」
男 「……旦那はさ、オンとオフ、切り替えるタイプの人間なんだよ。
オフの時は、優しくもないし、あんたが尊敬するべき男でもない。
あんたがいくら旦那に認められようと頑張ったところで、
オフの男には、届かない」
女 「やめてよっ……!」
男 「……」
女 「……っ……」(泣く)
男 「……」
女 「……」
男 「…………ごめん。
……泣き顔も綺麗だね。もしかして旦那さんS?
泣かせたくてわざとやってるとかありえるんじゃない?」
女 「取り繕って言わなくてもいいから。
……取り乱してごめんなさい」
男 「……いや、こっちが無神経だったよ」
女 「……」
男 「……でも、泣き顔綺麗ってのは本音だよ、取り繕ったわけじゃない」
女 「ありがと」
男 「そこは素直なんだ」
女 「……素直に受け取ってるわけじゃないけどね」
男 「そっか。厳しいな」
女 「……こんなさ」
男 「ん?」
女 「こんな女の愚痴に付き合っても、メリットないでしょ。
そろそろ終わりでいいんじゃない?」
男 「あ、やっぱ傷つけた?
てか、まぁ、うん、ごめん」
女 「いや、えっと……そういうんじゃなくて、
あなたが、嫌かなって」
男 「……いや、俺は全然嫌じゃないけどそっちが……」
女 「え、そんな私は別に……」
男 「……俺が泣かせたってのに、人がいいんだね」
女 「え、どこが。それに私別にあなたのせいで泣いたわけじゃ……」
男 「じゃあ、旦那のせい?」
女 「……」
男 「答えなくていいよ。
なんか、ごめん。ほんと見てられなくなっちゃってさ」
女 「……優しいんだ?」
男 「綺麗な人にはね」
女 「軽っ」
男 「軽いよ。軽いから、聞いて」
女 「うん?」
男 「……確かに、綺麗な泣き顔だったけどさ。
だからって俺はその泣き顔をずっと見ていたいとは思わないわけ。
どっちかっていうと、なんていうまでもなく、
笑ってる顔の方が、絶対に綺麗だと思うし、可愛いと思うわけ。
これは世の真理だと思う。ここまで、OK?」
女 「う、うん」
男 「目の前に、泣いてる女の子がいて、すげー辛そうにしてる。
だから俺は、笑ってほしいと思う。
でも……俺はまだ相手をよく知らないし、
どうしたら笑ってくれるのか、残念ながらわからない。
……今の俺にできることは……話を聞くこと。
望むなら、朝までだってね」
女 「……軽」
男 「……軽いよ。……重かったら困るでしょ」
女 「……なんでそんなに優しくしてくれるの?」
男 「んー……なんでだろう。
俺一目惚れするタイプじゃないけど、
もしかしたら今回、人生初ッ、運命の一目惚れをしたのかもしれないっ!」
女 「……全然笑えないよそれ」
男 「……そっか。はは、手厳しいな」
女 「……私は既婚者だし、あなたに絶対なびくことはないけど。
それでも、構わないわけ?」
男 「もちろん。
俺の目的は、君に笑ってもらうことだからね!」
女 「……それは、笑えるわ」
男 「じゃあ約束。またここで会おう?
俺大体いつも金曜はここで飲んでるから」
女 「……また夜に外出してこいって?」
男 「残業とか付き合いとか、色々言えるじゃん」
女 「……まぁ、言えなくはないけど」
男 「今日泣かせたお詫びに、次回奢らせて。
約束。ね?」
女 「……そのうちね」
(間)
(一週間後)
男 「あ、来た。こっちこっち」
女 「……いたんだ」
男 「いたんだって何?」
女 「……だって」
男 「いないと思った? 奢るって言ったから逆に嘘だと思ったとか?」
女 「ていうか……あの時だけの、そういう台詞なのかなって」
男 「ああ、酒の力で言ったと思われた?
残念、なかったことにはなってません」
女 「……なんか、ほっとしてる」
男 「え?」
女 「だって、約束、守ってくれるんでしょ?」
男 「……まあね。何飲む?」
女 「ウィスキー水割り。銘柄はお任せで」
男 「色気のない注文だな」
女 「好きなのよ悪い?」
男 「いや、自然体でいいんじゃない」
女 「……取ってつけたように」
男 「色々飾りたててくれるのも、可愛くみせたいんだなって努力だし、
男として嬉しいけどさ。
飾らないでくれるのも、自然体でいてくれるんだなって、
男として、それもまた嬉しいわけ」
女 「ふーん」
男 「釣れないなあ、ほんとだって!」
女 「はいはい」
男 「……そっちもさ」
女 「え?」
男 「来てくれてありがとう。
無理やり約束したのに、ちゃんと今日来てくれたから」
女 「……だって、待ちぼうけさせても気分悪いし。
連絡先だって知らないし」
男 「交換する?」
女 「やめとく」
男 「えー、別にセクハラしないよ?」
女 「どうだか」
男 「信用ないなー」
女 「だって軽いんでしょ」
男 「まぁね。ホテル行く?」
女 「行きません!」
男 「ははは。こんな男との約束、ちゃんと守るなんて義理堅いね」
女 「そういうわけじゃ……。
というか、あなたそんなに軽くないでしょう。
軽く見せてるだけで」
男 「そう見える?
いいよ、ホテル行っても」
女 「またそうやってはぐらかす」
男 「はぐらかしてないよ。
いつでも君を抱きたいと思ってるし」
女 「……既婚者なんだけど」
男 「そうだね。俺のものにはできないね。
わかってるから、今こうしてるだけでじゅうぶん有り難うだ」
女 「そういう意味でありがとうなの?」
男 「約束を守ってもらえることが当たり前じゃないのって、
ちょっと悲しいけどさ、その悲しさ、実は俺もわかるんだよね。
だから、君が来てくれて嬉しかった。それの、ありがとう」
女 「……ふぅん」
男 「……今日はやけに素直だね」
女 「そう?」
男 「また何か嫌なことがあった?」
女 「……ホントは来るつもりじゃなかったの。
でも。……来ちゃった」
男 「俺みたいな男の前で、そういうこと言うかなあ。
攫うよ?」
女 「できないくせに」
男 「望むならいつでも」
女 「……」
男 「望まないくせに」
女 「……そうね」
男 「……で、何があったの」
女 「昨日の記念日、すっぽかされた」
男 「結婚記念日?」
女 「うん」
男 「仕事?」
女 「って言ってたけどね。浮気でもしてるのかなあ」
男 「女の影ある?」
女 「わかんない……ない、と思うんだけど……」
男 「じゃあホントに仕事なんじゃない?」
女 「かもね。……でも、悲しかったから」
男 「そっか。そうだよな」
女 「……仕事を早く終わらせて家に帰っても、
帰りの遅い旦那を家事をしながら独りで待つって、……つらくなっちゃって。
昨日の記念日ね、一緒にお祝いしたくて、御馳走作ったから
今日はその残りをひとりで食べなきゃいけないんだもん」
男 「朝ごはんにしたりしなかったの?」
女 「旦那、朝は食べない人なんだ」
男 「あー……そっか」
女 「……料理や、掃除や、洗濯や……記念日を祝ったり、さ。
毎日の生活を重ねて、二人から、三人にって……
その、子供ほしいなって思うこととか、さ、
そういうのって、家族になったら当たり前に二人で考えることだと思ってたの。
それが、結婚だと思ってた」
男 「俺もそう思うけど?」
女 「でも、旦那は何も考えてくれないっ……
私ばっかり、空回り……」
男 「……悲しいんだ、つらいんだ、って、旦那にちゃんと言えてる?」
女 「言ってるつもり。
伝わってないけど」
男 「伝わってないって?」
女 「ごめんとは言ってくれる。それだけってこと」
男 「……この間も言ったけど、優しい男じゃないよねそれ?」
女 「……もうわかんない」
男 「……俺、マジで、攫おうか?」
女 「は?」
男 「出ようよ、ホテル行こ」
女 「行かないって」
男 「いや、行こう」
女 「……なんで」
男 「旦那と、してる?」
女 「え」
男 「……旦那と、シてる?」
女 「…………」
男 「レスだろどうせ」
女 「……レスの定義って、……どれくらいからそうなのか……」
男 「だから、そういうこと言ってる時点で、レスだろ。
普通は、週に何回かはあるものだよ」
女 「普通なんてわかんないじゃない!」
男 「聞けよ!
……君みたいにさ、いい女がさ、大事にされないの、おかしいから絶対」
女 「大事にされてるもの……」
男 「そう思いたいだけだろう」
女 「……っ、どうしてそんなひどいこと言うの!?」
男 「ひどい? ほんとに? 俺がひどい?」
女 「……やめてよ……!」
男 「旦那が君を大事にしないなら、俺が大事にする。
旦那が君を抱かないなら、俺が抱く。
旦那が君をいらないなら、俺が貰う。
単純な話だと思うけど」
女 「私をゲームの景品か何かだと思ってるの?」
男 「ゲームで落とすならちゃんとそういう女にしてる」
女 「じゃあ私は何なのよ」
男 「本気だって言わなきゃわからない?」
女 「そんなの信じられるわけないじゃない。
まだ会うの二回目だし、付き合ってるわけでもないのに」
男 「じゃあ俺と付き合って」
女 「だから私は結婚してるの!」
男 「じゃあ俺はどうすればいいんだよ。
本気だってどうやったらわかってくれる!?」
女 「わからない!」
男 「わかりたくないんだろ?
わかれよ!」
女 「っ……」
男 「……ちょっと、性急過ぎたかな、ごめん」
女 「……」
男 「……でも君が望むならいつでも攫うから。
俺を遊び相手にしてくれていいよ」
女 「遊び相手って……」
男 「一緒に飲むのも、どっか行くのでも、勿論ホテルだっていい。
俺あんまり金ないから全部奢れないかもしれないけど、
普通に女と付き合えはすると思うから」
女 「男の人に奢られるの、好きじゃないから」
男 「じゃあ割り勘でいいよ。
君が楽なように、俺を使えばいい」
女 「……何でそこまで、してくれるの」
男 「好きだから」
女 「信じられない」
男 「じゃあ信じなくていい」
女 「……何で信じなくていいとか言うの。
やっぱり嘘だから?」
男 「どうしてそう捉えるかな」
女 「もういい。ご馳走様」
男 「帰るの?」
女 「……さよなら」
男 「……またね。金曜はいつもここにいるから」
女 「もう来ない。……来なきゃよかった」
男 「……」
(間)
(二週間後)
女 「…………いたんだ」
男 「……そっちこそ、来たんだ」
女 「すみません、ウィスキー、水割りで」
男 「好きだね、ウィスキー」
女 「ええ、まあ」
男 「先週会えなかったから、もう無理かと思ったよ」
女 「……それは、こっちの台詞」
男 「え? 俺がもうここにいないと思ったの?」
女 「……他の人と話してるかとは思ってた」
男 「それでも、俺のところに来てくれたんだね」
女 「……あなたのところってわけじゃ、」
男 「違う?」
女 「違わない、けど」
男 「……今日は可愛いね。またひとつ君の魅力を知れて嬉しいな」
女 「……軽」
男 「軽いよ、ホテル行く?」
女 「馬鹿」
男 「……今日はどうしたの? 俺に会いたかった?」
女 「そうね、会いたかったー」
男 「……傷つくなあ」
女 「え?」
男 「心にもないこと言われると」
女 「本気だとは思わないんだ?」
男 「本気で言ったようには聞こえないね」
女 「それは失礼いたしましたっ」
男 「で、何かあったの」
女 「何かなきゃ来ちゃいけないわけ」
男 「何かなきゃ来ないだろ。俺のところなんかにさ」
女 「……そうよね、私、もう来ないって言ったものね」
男 「来てくれて嬉しいよ。俺を頼ってくれたんでしょ」
女 「……その、……どうしていいかわからなくて」
男 「うん」
女 「……どうして、恭ちゃん……、あ、えっと、」
男 「旦那?」
女 「うん。先週旦那が、記念日の埋め合わせのデートに誘ってくれたんだけど、
……待ち合わせ場所に来なくて。連絡も、とれなかったんだ」
男 「え、またすっぽかし? 外で!?」
女 「……心配になって、色々なとこに電話しちゃったから、あとですごく怒られて。
仕事だったんだって。携帯充電がきれてたみたい」
男 「……でも、心配になるよね? 約束してたんだから」
女 「うん。でも、……私の心配は迷惑なんだって」
男 「そういうことじゃないだろ。
すっぽかした埋め合わせにした約束をすっぽかすって、どんだけだよ!」
女 「今繁忙期だから! そういうのよくあるの、それはわかってるの!
わかってるの……」
男 「それが起こりうる仕事だとしても、
奥さんに謝らない言い訳にはならないと思うけどね。
心配したら逆ギレなんて、旦那の脳味噌絶対おかしい」
女 「……」
男 「……(溜息)」
女 「今朝、埋め合わせの埋め合わせを、って言ってきたけど、
……今日は私が遅いからって、断っちゃった。
だから、時間をつぶしに来たの……」
男 「なるほど。
ほんと、ここまで幸が薄いと、まるでドラマだね」
女 「馬鹿にしてる?」
男 「いや?
……どうせだったら主人公になればいいと思ってさ。
俺に抱かれて、二人の男の間で揺れてみるのはどう?」
女 「そんなドラマあったわね確かに」
男 「観てた?」
女 「観てない」
男 「どうして?」
女 「……」
男 「……怖かった?」
女 「……別に。他の観てただけ」
男 「……そう」
女 「……私って」
男 「うん?」
女 「……女としての魅力、ある?」
男 「なかったら口説いてない」
女 「口説いてるんだ?」
男 「待ってよ、自覚ないの?」
女 「……話半分に聞いてるから」
男 「じゃあどんどん口説くわ。
半分に聞いてるなら2倍以上口説かないと伝わらないんだろうし」
女 「……そういうわけでもないんだけど」
男 「えー、難しいなあ」
女 「私を落とすのは大変よ?」
男 「それは燃えるな」
女 「……なーんて、駄目ね、私はやっぱりこういうの、向いてない」
男 「無理してこっちに合わせなくていいよ」
女 「……ごめんなさい」
男 「だから無理しなくていいって」
女 「違うの」
男 「……え?」
女 「……まだ会うのは三回目で、お互い連絡先も、名前すら知らない。
それでも、あなたは、嬉しい言葉をたくさんくれた。
ありがとう」
男 「なんか……嫌なありがとうな気がするなあ、それ」
女 「……もう、来ないわ、本当に」
男 「……どうして?」
女 「これ以上優しくされたら、もう戻れなくなりそうだから」
男 「戻らなくていいよ。俺が責任取る。嘘じゃない」
女 「……うん、その言葉、嘘じゃない、と、思う。
たとえ嘘でも、いい。ありがとう。
だからもう会わないの」
男 「もう君が泣くのは見たくないよ」
女 「今日の私は泣いてないわ」
男 「でも泣いたからここに来たんじゃないの?」
女 「……見たくないなら会わなければいい、それだけのことだって言ってるの」
男 「どうしてそう拒絶するの?
俺のことそんなに嫌い?」
女 「そういうことじゃない」
男 「俺なら泣かせないよ、絶対に!」
女 「絶対なんて、そんなこと、世の中にないから。
今こうして、この薄暗い空間で少しの時間を共有してるだけだから、
私の悪いところが隠せてるだけ。
実際、お日様の下で会って、付き合ったりしたら、がっかりすると思う」
男 「じゃあがっかりさせてみてよ! それからでも遅くないだろ」
女 「どういうこと?」
男 「言わせる気か?
君にすげー惚れてるんだよ。
俺は君の人生に責任とりたいとまで思ってる。
そのくらいの気にさせたんだから、君も責任をとってよ」
女 「……それは、私がとらなきゃいけない責任なの?」
男 「………………ごめん」
女 「……そこで謝ってくれるのね」
男 「え?」
女 「あなたは本当に優しい人だと思う。
恭ちゃんからは絶対に聞けない言葉をたくさんくれたし。
でも私、これが恭ちゃんからだったらどんなによかったかって、
ずっとそう考えてた」
男 「それだけ旦那が好きなのも知ってる。わかってるよ」
女 「……モラハラ夫と被害者妻って言われた時、はっとしたの。
ホントは、少しだけ、自覚もあったから。
でも、信じたくなかった。
私は幸せなんだって、信じたかった」
男 「今からでも幸せになれるよ。俺が幸せにしてやるよ!」
女 「ありがとう。……でも、あなたの方は向けない」
男 「……向かせるよ。一晩付き合えよ、わからせてやるから」
女 「…………すみません、……ブルームーンを」
男 「っ、……はは、まいったな。
なんだよ、それ」
女 「あのドラマの原作知ってるなら、これで伝わると思って」
男 「その台詞を言いたくて、
わざと俺に直接的なこと言わせたってだけなら嬉しいけど、
さすがに、そうじゃなさそうだな」
女 「私そこまで器用じゃないわ」
男 「ちなみに知ってる?
ブルームーンは、できない相談、って意味も勿論あるけど」
女 「知ってる、奇跡や幸福な瞬間って意味もあるのよね」
男 「……奇跡じゃ、だめなわけ?」
女 「……だめ。イイ女のフリができないでしょ」
男 「フリなんてしなくてもいいだろ」
女 「よくない。強くならなきゃいけないから」
男 「……どうして?」
女 「ふふ……私馬鹿みたい?」
男 「馬鹿だろ」
女 「そうね」
男 「そんな君が、好きだよ」
女 「ありがとう」
男 「初めて、このカクテル見たよ。
頼むヤツ、俺の周りでも全然いないし。俺も頼んだことないし」
女 「(一口飲んで)でも、美味しい」
男 「一口もらっても?」
女 「いいよ」
男 「(一口飲んで)うん、優しい味だな」
女 「……ね。
……あなたのおかげで、旦那と向き合おうって思えたんだよ」
男 「……そっか。
……その青、綺麗だね」
女 「え? カクテル?」
男 「いや、ピアス」
女 「ピアス? ああ、ラピスラズリ、誕生石なの」
男 「そうなんだ。似合ってるよ。ずっと思ってた」
女 「ありがとう」
男 「……さしずめ……ラピス・ムーンってとこか」
女 「え?」
男 「さっきのさ。
できない、じゃないんだよ。
君が、君の意思が、心が、今俺には逃げないことを選んだんだ。
君は勇敢だと思う」
女 「そんなかっこいい話じゃ……」
男 「ここで少しさ、愚痴の相手だったらいつでもできるから。
連絡先も交換しない、名前も、今は言わない。
だからまたおいでよ、待ってるから」
女 「なんか、今わざとかっこつけてたりする?」
男 「うるせえ。かっこくらいつけさせろよ。
俺の失恋、いい思い出にしたいからさ」
女 「ふふ、……ほんと軽い人」
男 「君は、俺が心底惚れた、イイ女だよ。自信を持っていい」
女 「……ありがとう」
男 「次に、……いや、今度、お日様の下で出会えたら、
正々堂々、君を口説くよ」
女 「何それ。失恋したのに、また出会うの?」
男 「今は失恋でいいよ。
月の下では無理でも、お日様の下なら、ね。
また出会えたら、わからないだろう?」
女 「ほんと、変な人なんだから」
男 「俺、諦めが悪いんだ」
女 「ふふふ」
男 「勿論、君が笑ってたら、出会わなかったことにする。
どっちでもいいんだ。君が笑っていれば、さ」
女 「わーカッコイイ」
男 「茶化すなよ」
女 「ごめんなさい」
男 「……また君と会えるのを、楽しみにしてる。
だから、今日……あとほんの少しだけ、ここにいてくれない?」
女 「え?」
男 「俺がこのカクテルを、飲み終わるまででいいから、ここにいて」
女 「……わかった」
男 「……」
女 「……ほんとはね、ちょっとだけ迷ったの。流されるのもありかなって」
男 「え……。
今言うかなそれ!?」
女 「ごめん」
男 「それ俺信じちゃうよ、いいの?」
女 「いいよ」
男 「言ったな?」
女 「むしろそれは、こっちの台詞だったりするんだけどね」
男 「え?」
女 「あなたとまた、お日様の下で出会えたら……
私だって、それを信じてしまうかもしれないけど、いいの?」
男 「いいよ、勿論」
女 「……でも、……未来は、この青い月だけが、知ってるのよね」
男 「……そうだね。……落ち着かないけど、しょうがない。
今君が言える精一杯をもらえたんだから、それでいいよ」
女 「ええ。私も、それでいいの」
男 「(グラスを飲み干して)……待ってるよ」
女 「……ありがとう。……じゃあ、行ってくるわ」
男 「頑張って。……金曜の此処から、応援してる」
女 「うん。また会いましょう。またいつかの……金曜日に」